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【本】翔ぶが如く:司馬遼太郎

「翔ぶが如く」を久しぶりにまた読んでみた。

この本やたら長いし、飽きたら投げようと思って読み始めたけど、色々新発見が多くて投げるどころじゃない。
年経ってからこの手の本を読むとやっぱり、昔読みきれなかったものが見えてくるね。

この本を一言でいえば、西郷隆盛と大久保利通の本。スパンは征韓論から西南戦争まで。この二人の征韓論の対決がその後の日本を決定づけたんだなぁと。

大久保利通の現実論と、西郷隆盛の理想論。
まさに真の武士、士としての理想論。ここまで至高で純粋なものは久しく見聞きしてなかったので、非常に衝撃を受けた。

その理想論が実現可能か、または本当に実施すべきだったのかは正直分からない。けど、今の日本とまさに180度違う志を見てなんだか悲しくなってしまった。


その思想のコアの部分だけ引用します。


~~以下引用~~

西郷は国家の基盤は財政でも軍事力でもなく、民族がもつ颯爽とした士魂にありと思っていた。そういう精神像が維新によって崩れた。というよりそういう精神像を陶冶してきた士族のいかにも士族らしい理想像をもって新国家の原理にしようとしていた。

しかしながら出来上がった新国家は立身出世主義の官員と、利権と投機だけに目の色を変えている新興資本家を骨格とし、そして国民なるものが成立したものの、その国民たるや精神の面でいえば愧ずべき土百姓にすぎず、新国家は彼らに対し国家的な陶冶を行おうとはしない。こういう新国家というものが、いかに将来国庫が満ち、軍器が成功になろうとも、この地球において存在するだけの価値のある国家とはいえないと、西郷はおもっている。

(中略)

民族に内在する勇猛心を引き出すことによって、奈良朝以来、あるいは戦国このかた、太平に馴れた日本民族に精気をあたえ、できれば戦国期の島津氏の士人がもっていた毅然とした倫理性を全日本人のものにしたいという願望があった。西郷の征韓論がそれにつながるかはともかく、かれが新国家の基盤に一個の高貴な原理性をすえようとした思想は、その後の日本国家がついに持たなかったものであった。

(中略)

しかし西郷の哲学的論理からすればそれこそ実際的であり、なぜならば日本民族はこれによってこそ苦難を経て草木とともに一新するだろう、維新の意義はそこにある、極端にいえば日本民族の半ばが戦火に倒れるともアジアの一新に役立てばよれでよいのであり、それはあたかも維新前夜の薩長に似ている、あのとき薩長は偶然勝つことができたが、しかし藩はほろびてもよい覚悟は長州にも薩州にもあった。アジアの規模にひきなおせば日本が薩長に該当するのである、ということであった。

極端にいえば西郷の障害におけるこの局面では、西郷は政策論者よりも濃厚に思想家になってしまっていた。かれの没落は、明治国家が国家としてのもっとも重要なものを削り落としてしまったということになるかもしれない。




テーマ : 図書館本 - ジャンル : 本・雑誌

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